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Cafetalk Tutor's Column

miyukiS 講師のコラム

我が人生最大の幸運:恩師との出会い

今週のテーマ: 好きな芸人さん・ユーチューバー

2019年7月16日

私の人生で最大の幸運は間違いなく、中学生になって初めて英語を習った先生が松村先生だったことです。

その50年前の12歳の時の出会いが今の私を作ったと言っても過言ではありません。
(実は今、何年前のことだったかと引き算して、なんと半世紀も前なのかと驚愕しています)
北海道の小さな町の中学校に入学した私は初めて見聞きする外国の言葉に興味津々でした。
初めての英語の授業に颯爽と現れた先生は、今まで見たことも聞いたこともない言葉で私たちに話しかけたのです。(おまけに先生は若くてハンサムでとてもかっこよかったのです。←ここ、大事)
私は一瞬で松村先生と先生が教える「英語」に恋に落ち、英語の授業中は一言も聞きもらすまいと集中し、先生が伝える勉強法はすべてやりました。

生の英語を聞く機会などなかったその時代に、先生はひとりずつそばに来てていねいに発音を教えてくださいました。だれかが間違って発音したときにクラスの何人かが笑った時に、厳しく注意された時の先生のことも忘れられません。間違いを恐れてはいけない、ひとの間違いを笑ってはいけないということも学びました。
「外国語を学ぶことは世界を広げること。外国語とその文化を学ぶことは自国語と自国の文化を学ぶこと。世界には多様な文化と多様な人々がいること。」
等々をその時に教えていただきました。
外国人など見たこともなかったその時代に、アメリカ人の女性を教室に連れてきて私たちに英語を話させてもくれました。

優秀だった先生は私たちの在学途中で文部省(当時)のプロジェクトでアメリカに研修に行ってしまいました。
代わって急遽私たちに英語を教えてくださった先生は理科が専攻でしたが、すぐに英語の教員は見つからなかったのでしょう。その頃は「能力別」なんて言葉もないくらいでしたのに松村先生が英語の授業に導入していました。
その代わりの先生は、開口一番
「お前たちなら自分たちで勉強するから大丈夫だ、と言われたから引き受けたんだぞ。」
とおっしゃいました。
松村先生の期待と信頼に応えるべく私たちはみんながんばったと思います。

その頃には私は英語を学ぶことが楽しくて仕方がありませんでしたから、まったく苦ではありませんでした。今とは違ってインターネットも音声教材すらまともになく、英語放送もなく、オープンリール(死語?)で聞く教科書の模範音声くらいしかありませんでした。中学2年生の時にクラスで一番勉強の出来る男の子が「オレはNHKの英語ラジオ番組を聞いている。」というのを聞いて、その日から大学を卒業するまでほとんど毎日(録音機器もないのでリアルタイムで)ラジオにかじりついて聞きました。
インターネットが普及していくらでも英語に触れられる今が夢のようです。

先生とはその後も年賀状の交換などで交流が続いています。数年前に奇跡のように東京で直接お目にかかることもできました。
先生はアメリカから帰国して数年して教職を辞し、なんとお父さまの後を継いでお寺のご住職になられました。ご住職になられてからも地域の子供たちに英語を教えたり、スリランカに学校を建てて英語教育を行う活動をされたりしています。数年前にお会いしたときもお年をまったく感じさせないかくしゃくとした、かっこいい先生のままでした。

私は今、シェイクスピアの故郷Stratford-upon-Avonに来ています。今までと同様にここでも新しい出会いがたくさんありました。英語を多少でも知っていることで、母国語しか知らなければ出会えなかった多くの人に会い、多くのたいせつな機会を得ることが出来ています。今回も自分の勉強不足を痛感していますが、今、ここにこうしているのも、もとをたどると松村先生のおかげと感謝しています。




本コラムは、講師個人の立場で掲載されたものです。
コラムに記載されている意見は、講師個人のものであり、カフェトークを代表する見解ではありません。

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