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Cafetalk Tutor's Column

kuro 講師のコラム

たった10秒で人生を変えた恩師について

今週のテーマ: 自分史上最大の恩師

2019年7月12日

その先生は恩師ではあるのですが、会話したのはトータルで10秒くらいしかありません。

とある県立進学校に通う高校2年生の時、たまたま数学の教科担当の先生がお休みだったので、その先生が代理で教室に入ってきました。

内容は「自習」。そのかわり、解きたい人はこれ解いて、と言って、数学オリンピックの予選の問題を黒板に書いたのです。みんなやっぱりそっちが気になるようで、僕もその問題を考えることにしました。

で、僕はその時クラスでそんなに数学ができる方ではなかったのですが、今回だけはたまたま最初に答えを出せたんですよね。

とはいっても完全自力というわけでもなく、先生の時々口にする注意深いヒントをたどってたどりついただけですが。

そのときその先生はすごく褒めてくれたような気がしますが、あまり覚えてないです。

覚えているのは、数日後、たまたま休み時間にその先生と廊下ですれ違ったときのことです。

「お、君(たぶん名前覚えてない)、良かったね〜。そういえば志望校はどう?」
「〇〇大です」
「そうなんだ。東大なんてどう?文3とか」
「えっ、いやいや・・・」
「大丈夫だよ!」

これだけ。短い会話でした。時間にしてたった10秒程度だったと思います。

その先生は多分、褒めるのが上手い先生だったと思うんです。その当時の僕を見て、「こいつは東大に行ける」と思う人はいなかったでしょう。でもその先生は、おそらく期待も込めて、ああ言ったんだと思います。

そしてそれが、僕に思いがけない伸びしろが与えられた瞬間です。

僕はその時、「いやいや」とお茶を濁すようなことしか言えずに逃げるようにその場を離れました。

その後、そのことは忘れてしばらく過ごしていました。

が、高三の春ぐらいからだんだん志望校を変えたくなってきました。先生の撒いた言葉の種が、だんだん育ってきていたのかも知れません。

成績が上がったわけではありません。部活もラグビーで、三年生の11月までやる予定です。間違って花園なんて行こうものなら、正月まで部活をしなきゃならないんです(福岡県の高校だったので、全国三連覇も成し遂げた東福岡高校という最強チームがいて、可能性はとても低かったですが)。

そしてあろうことか、高三の10月(笑)に志望校を東大文Ⅲに変えました。

当然、現役では受験しても落ちちゃったわけですが、後期受験で入学できた大学に通いながらも意思は揺らがず、1年間は機械のように勉強してほんとに合格したのでした。

今考えても、なんであんなに一心不乱に勉強できたのか分かりません。でも、たしかに何か「確信」めいたものがありました。そこにはなんの根拠もありませんでした。でも、その玉ねぎみたいな「確信」めいたものの皮を、ひとつひとつむいていったその核の部分では、少なくともあの先生のあの言葉がずっと響いていました

あの言葉がなければ僕は東大に行こうなんて思いもしなかったでしょう。おそらく九州の大学を卒業し、九州で就職していたはずです。ということは、今も関東に住んでいますが、大学で東京に来てから今までの様々な経験・出会いもなかった、ということなのです。バンドやってコロムビア・レコードからデビュー、なんてこともなかったでしょう(笑)。

あの先生の声かけがあるまでは、僕にそんなことができる可能性は1ミリもなかったと断言できます。それっきり会話することもなかった先生のたった10秒の声掛けが、僕の人生を変えたんだと今なら断言できます。

さて、翻って、あれから19年。僕はいつのまにか「先生」と呼ばれることが増えてきました。

けっこう長いこと「先生」と呼ばれる仕事をやってきて、あの先生のように、生徒に良い影響を与えることができているのか。時々考えます。

役に立ったことも多分あるのでしょう。

でも、印象に残るのは常に、成功よりも失敗です。いくら生徒のことを考えても、あの一言は良くなかった、あの指導はこうすればよかった、そういうことばかりが先に記憶から溢れてきて、良かった思い出があんまり思い出せません。

曲がりなりにも「先生」をやっている身として、「先生」というのは、たった10秒でも、たった一言でも、生徒の人生を変えてしまうほどの恐ろしいけれども価値ある職業なのだということを、肝に銘じておきたいと思います。

自分自身が、そうやって人生を変えられた一人ですので。

本コラムは、講師個人の立場で掲載されたものです。
コラムに記載されている意見は、講師個人のものであり、カフェトークを代表する見解ではありません。

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