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Tutor Matryoshka(マトリョシカ) 's Column

ロシアの春を迎えるお祭り。マースレニツァ。

Feb 17, 2018

ロシアの春を迎えるお祭り

 マースレニツァは、今なおロシアの人々に愛され続ける古いスラヴの祭りである。このお祭りの一番のご馳走は、何と言ってもブリヌイ(ロシア風クレープ)だ。これも太古の昔から続いている伝統で、丸い形をしたブリヌィは太陽を象徴している。

 マースレニツァは冬を送り、春を迎える祭日である。ルーシ(ロシアの古称)によるキリスト教受容後もこの祭りは受け継がれ、16世紀にマースレニツァという今の呼び名がつけられた。

 

マースレニツァは、復活大祭(パースハ)の56日前、亡き親族を追善する断肉土曜日の直後に始まる。ロシアでは雪解けの季節で、屋根から滴が垂れ、日が伸び、寒気が退く。「冬送り」は春の耕作の時期と重なっていた。驚くべきことにこの祭りは、それを「乾酪週間(乳製品・卵を食することが許される週 – 編集部注釈)」とみなしていたキリスト教から糾弾されることもなく、クリスマス週間とは異なり(ロシア正教会のクリスマス(1月7日)前の斎戒(ものいみ)期は、新暦の年末年始の祝日と重なる – 編集部注釈)、マースレニツァには二重信仰の要素はみられなかった。マースレニツァ週間に教会は、アダムの楽園喪失を思い起こさせて、信徒たちを斎戒に備えさせる。

 

かつては、マースレニツァ週間の各日に、固有の名称と料理があった。昨今は慣行をすべてきちんと守る人は少ないが、ブリヌイは今も欠かすことのできないマースレニツァのシンボルだ。20世紀初頭のロシアの作家、A.クプリーンはこう記している。「ブリヌイはまさに恵み豊かな太陽のように円い。太陽のように赤く熱く、溶かしたバターがかかっている。これは、強固な石の偶像に捧げられる生贄の追憶である」。

 主婦は皆それぞれにブリヌイの秘密のレシピをもっている。ブリヌイは、魚卵、サーモン、ニシン、スメタナ(サワークリーム)、蜂蜜、チーズ、胡瓜、カッテージチーズ、細かく刻んだ茹で卵などを載せて頂くが、トッピングのみならず、どれほど沢山食べるかも大事で、かつてロシアへ来た外国人たちは、ロシア人たちが食べるブリヌイの山にびっくり仰天していたという。もっともこれは、マースレニツァに限ったことではないのだが。

 

ロシアには「マースレニツァを満喫しないと不幸のうちに暮らし、惨めな一生を終える」という迷信すらあるので、大昔からこの祭りは陽気で奔放なものだった。今もマースレニツァの初日には滑り台やブランコ、道化たちの芝居小屋などが設けられる。子供たちは朝から藁人形をこしらえ、橇に載せて丘へ運ぶ。この初日は拳闘で終わることになっている。最終日にはそぞろ歩く大勢の人の前で、藁人形が焚火で焼かれる。

マースレニツァには、婚期を速め、若人たちが伴侶を見つける手助けをする役目もあった。たとえば、ヴォロネジ州では女性たちが未婚の若者に丸太を縛りつけたが、これは、去年結婚しなかったその若者に対するふざけた罰であり、丸太と嘲笑から逃れるには、酒やブリヌイやお菓子を振る舞わなくてはならなかった。今ではこうした風習を守っている人は少ないが、愉しい雰囲気は今も昔と変わらない。

モスクワでは18世紀末まで、中心部のクレムリンのそばやモスクワ河で、スケートや橇遊びが行われていた。18世紀以降、マースレニツァの祭りには西欧諸国の多くの慣習が取り入れられた。クリスマスや正月のみならず、マースレニツァでも仮装が行われるのは、ピョートル一世のおかげである。当時、ロシアを訪れた外国人たちが、ロシア人に手品や祝い歌を愛する心を植えつけたのだ。

 現在、マースレニツァに関連した儀式や風習の多くが甦りつつある。例えば、今日でも婚礼の行列を従える車に人形や縫いぐるみのクマを括りつける風習があるが、大抵の人はその起源が遠い昔にさかのぼることを知らない。実は、それは「家庭のマースレニツァ」という、藁人形によって新郎新婦を出逢わせた風習の名残なのである。

 

 https://jp.rbth.com/articles/2012/02/20/14134

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