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Cafetalk Tutor's Column

Tutor Matryoshka(マトリョシカ) 's Column

マトリョーシカのお祖母さんはこけし?

Dec 2, 2017

マトリョーシカという名称は、ロシアの女性名からきている。それぞれの人形にはスカーフ姿の若い女性の像が描かれているのが本来であるが、レーニンをはじめロシア・ソ連の歴代指導者が描かれたものや、動物など人間以外のものが描かれたものなど、絵柄は各種に広まっている。日本にもマトリョーシカ人形と同じ作りで、だるまなどの入れ子人形がある。

ルーツ

1900年のパリ万国博覧会で銅メダルを受賞したのを機会に、ロシア帝国各地で色々なマトリョーシカ人形が作られるようになり、ロシアの民芸品、土産物として知られるようになった。

パリ万博以前の歴史はそう古くはないようだが、そのルーツとなるものはいくつかの説が挙げられている。

1890年代半ば、モスクワ郊外に住むS. I. マーモントフ夫人と画家S. V. マリューチンとザゴルスクのろくろ師V. ズビョズドチキンによって、モスクワの工房「子供の教育」で制作されたという説。

19世紀末、神奈川県箱根町にあったロシア正教会の避暑館にやってきたロシア人修道士が本国への土産に持ち帰った箱根細工の七福神の入れ子人形がマトリョーシカの元になったという説。

20世紀初頭、愛媛県・松山捕虜収容所で日露戦争の捕虜となったロシア兵が、愛媛の郷土玩具の一つ姫だるまをまねて作ったという説。

しかし、日露戦争は1904年から1905年の出来事であるため、3の説は1900年にパリ万博でマトリョーシカ人形が銅メダルを獲得している事実と明らかに矛盾する。日本ユーラシア協会では、1・2の説を採用している。

他に、国営工場があったニジニ・ノヴゴロド州のセミョーノフ市をマトリョーシカ人形発祥地とする説もある。

高山正之は、自著においてマトリョーシカの第1号が飾られているセルギエフ・ポサード(旧・ザゴルスク)の博物館には日本から教わったという縁起の記されたキャプションともに、モデルとなったとされる箱根細工の七福神の入れ子人形が展示されている説を述べている。

Wikipedia

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